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MATRIXのアカペラstyle

ARARGER01.jpg【DooWopスタイルアレンジ】
リード+伴奏コーラス+ベースのDooWopスタイルが基本で、リードボーカル(の表現力)に依存する事を前提としたアレンジをしています。「メロディ+字ハモコーラス」もやる事はやりますが、メロディの良さが無くなる(それがコーラスの良さだと言われたらそれまでですが)ので、あんまり好きじゃないです。で、ぶっちゃけ「歌うオジサン」山本氏のリードの曲の楽譜は、余計なアレンジをしなくていいので作るのがラクです。その他のメンバーがリードをとる場合は、音楽のパワーバランスが変わるため、バックの関与度を高めたアレンジにしています。

【メロディパートを回さない】
勿論、曲によりけりですが、歌謡曲のようなメロディと歌詞が明快な歌は、聞き手の頭の中で一緒に鳴っている(歌っている)状態を阻害しないようにしたい。曲の途中で唐突に曲調が変わる、ボーカリストが変わる、転調する際、「これは歌い手のエゴではないか」と思う事があります。お客が付いてこれないアレンジにならないように、楽譜を書いてみて、練習してみて、「この曲の重心は、ステージ上の自分達と観客席の間の、どの辺になるだろうか」をいつも考えてるつもりです。

ARRANGER02.jpg【前奏・間奏はほぼ要らない】
普通、歌にはだいたい前奏とか間奏とかが付いてますが、アカペラでこれをそのままやるのも勿体ない(モト歌を真似るアレンジをしたくないし、特にアカペラの場合、間奏ってヘンな存在なんだよ)ので、この部分でどう発想を変えるのかが、既成曲カバーアレンジの醍醐味ですね。楽器のアレンジと違って、MATRIXのアレンジは「簡素にするのが正しい」(お客さんが解りやすい、自分たちも間違えずに歌いやすい)と考えてますので、イントロ・間奏・エンディングを最小限にして、楽譜ページ数も減らす訳です。

【ステージ配置はお客が見て解りやすく・我々も歌いやすく】
マイクが少ないのが理想、できたらボーカル・コーラス・ベースで3本がカッコいいです。お客はそのフォーメーションから、リードボーカルを見てくれればそれで良いんです。リードパートを回さないから、お客も「今、誰がメロディ歌ってるのか」を探す必要もなくキョロキョロしないで済む。
アレンジ志向の異なるコンテンポラリーアカペラではそんな訳いかない事も解るのですが、それにしても「ステージ上で離れて横並びで、皆で前向いて歌っている」姿を見ると、視覚的に「バンドの一体感」があまり感じられず、パフォーマンス上もマイナスではないかと思っています。楽器奏者が左右に広がるのは全然気にならないんだけどね。

ARRANGER03.jpg【スコアはA4×2枚がベスト】
会社の報告書みたいな話ですが(笑)、音楽に長けてない人の比率が多いMATRIXは「楽譜を覚えるのが大変」なため、歌いやすい楽譜が求められます。言いかえれば冗長なアレンジをするな、という事です。スコアの書き方の基本は、リード、リードの上、コーラス、ベースの4段で、コーラス2パートは動きやリズムが一緒なので1段、和田のパートはメロディに付いたりコーラスに付いたり動くので単独1段。譜表4段のスコアで2枚というと短そうですが、matrixのスコアでA4×1枚というのもあります。ちなみに写真は幻の「アイムソーリー」(首相公選制イベントで演奏)。



【選曲のしかた】
メンバーの意見要望を聞いて、そのままその曲を取り上げる(私がアレンジする)事もありますが、「なぜその曲が良いと思うか」を尋ねた上で、「瞬殺」したり「別の曲を用意する」事が実は多いです。そのメンバーにとっては「却下かよっ」の状態です。僕からすると、その曲への拘りは「果たしてお客に伝えられる類のものなのか」、その意図ならこっちの歌のほうが良い筈とか、その歌は1年たったら陳腐化するから却下とか、更に「その歌はオリジナル歌手イメージが強すぎて我々が敢えて歌う意味が見出せない」ので却下、等の私の見地を存分に入れて判断しています。当然、時々は揉めます。こっちはメンバーよりも膨大に曲を聴いてきているので、僕の感覚を信じて貰うしかないんですが、幸い信じてくれてるのでなんとか均衡が保たれているって訳です。
但し、「誰がリードを歌うか」については、自発性(挙手)で決める事が多いですね。リード役には曲全体を引っ張る覚悟とエネルギーが必要なので。



【日本語のハンディ、アカペラのハンディ】
英語とかの外国語は、音節最後に子音がある事が多いので、普通に歌うだけで自然にリズム性が生まれるんです。でも日本語だと一字一字が母音で終わるので、そういったノリのリズムが出来てこない。リズム性で見ると日本語はハンディ大きい。

 また、日本語でシャッフル(スイング)リズムで歌うと、これまた悩むんです。シャッフルで「ズンカズンカズンカズンカ~」のリズムで言うと、「カ」の部分。ここに「字」が入るとリズムが重くなるんだよ。日本語ラップが僕にとって「耳障り」なのはこの点だ。

 更に、ボイパ―カッションのリズムを聴くと、殆ど4beatのシャッフルが出来ないというか、どうも困難なんだろうね。先程の「カ」の箇所の発音が難しく、重くなってボイパ入れたお陰で却ってノリが悪くなる。アカペラで4beatやる場合はボイスパーカッションは外したほうが良いよね。「カ」の部分のブレ加減、その自由さが4beatのノリの本質だと思うんだなぁ。1940年頃までのハイハットで刻むリズムを4beatと言うのなら、そもそも話が噛み合ってないってか?


【コロッケの真似をしてはその先がない】
自分達含め、日本のアマチュアアカペラの多くは「竹の子族的な存在」であって、なぜか眼前に広がっている筈の音楽に向かおうとせず、社会に手を広げず、お手軽な集団活動に収まってる、これが実は課題だと思う訳です。ここで引き合いに出した竹の子族とは、「1人だと全然大したことなくても、揃ってやれば何故かそれなりに観賞に耐えうるモノになってしまう不思議なシロモノ」という私なりの解釈で使ってます。

 時々、若い人の演奏を見ると、「岩崎宏美の真似をするコロッケの真似をしようとして懸命になっている」ように見える事があるんです。(コロッケは物真似の天才だと思ってますのでお間違いないように。)この比喩で言うと、僕の関心・探究心は、「元ウタを歌った岩崎宏美は何を歌おうとしたのだろうか、という所から音楽解釈の旅が始まる」というのに近いんだけど、これって僕がオタク過ぎるんですかね。

 まぁ昔に比べるとプロのアカペラも増えたし、YOUTUBE見るだけでも既に膨大だし、それだけで「無限な宇宙」に見えちゃうだろうけどねー。